武1丁目 武遺跡

鹿児島市の中心地・JR鹿児島中央駅西側に広がり、縄文時代~近代の遺構が確認された「武遺跡」の全体像が見えてきた。2021年調査で弥生時代のものが多数出土し、歴史がつながった。同じ場所で多数の時代の遺物が確認されるのは珍しいという。


位置と環境

たけ

武遺跡

(鹿児島市武町1丁目)

武遺跡は鹿児島市の中央に位置し,遺跡の北西 700mには標高約120mのシラス台地である「武岡」 がある。武遺跡は甲突川右岸の自然堤防で標高7 ~9mの微高地に立地する。この微高地の東南には, 標高が3mで東西1km,南北2kmの範囲に及ぶ鹿児 島大学の広い敷地も沖積地として形成されている。

武遺跡は発掘調査地点毎にA・B・C・Dと分か れており,D地点は「寿国寺跡」として報告書が刊 行された。

調査の経緯

九州新幹線鹿児島ルート建設に伴い,県教育委員

会が平成4年度に詳細分布調査を実施し遺跡の存在

が確認された。本調査は,西鹿児島駅(鹿児島中央

駅)整備事業により,平成5年度に3次に分けて実

施した。

第1次調査 武A遺跡 1,100m²

第2次調査 武B遺跡 384m²

第3次調査 武C遺跡 2,718m² 計4,202m² なお,調査対象区域内は,旧鹿児島県工業試験場

や九州鉄道旅客株式会社鹿児島支店等の建物攪乱を

受けていたため,調査範囲がかなり制限された。

整理作業は平成14年度に実施し,報告書も同年度 に刊行した。

遺構と遺物

縄文時代は,早期の前平式土器が1点出土したが,

流れ込みと思われる。

前期は,集石を1基検出した。遺物は,轟系式の

土器が少量と深浦式土器が多量に出土した。 中期

では,船元式土器,春日式土器,北手牧式土器,大

平式土器,並木式土器,南福寺式土器などが出土し

た。

晩期では,刻目突帯文土器が出土した。また,半

分欠損した大珠が1点出土している。

弥生時代は,中期末から後期初頭にかけての山ノ

口式土器,後期の三津永田式土器,頸部の欠損した

免田式土器の長頸 が出土している。

第1図 武遺跡の位置

古墳時代の遺構は竪穴住居跡23基,大型土坑11基, 土坑37基,溝3条などを検出した。竪穴住居跡は, その形態で次の6タイプに分類できる。

大型で花弁状張出タイプ 2軒 大型で円形タイプ 2軒 中型で方形に方形張出タイプ 14軒 中型で方形に円形張出タイプ 2軒 中型で円形に方形張出タイプ 2軒 小型で円形タイプ 1軒 大型土坑は規模が2~3mで,半円形,円形,方

形タイプに分類できる。土坑には,長楕円,円形,

隅丸方形の3タイプに分類できる。

成川式土器が大量に出土したが,器種としては甕,

鉢, ,高 ,特殊 ,蓋などがある。

平安時代の遺構は,断面の形状が逆台形の溝,1 条を検出した。遺物は,9世紀中頃から10世紀中頃 の土師器,須恵器が出土した。

そのほかに,近世の水田の溝と明治以降と思われ る井戸が検出された。

特徴

本遺跡は,甲突川の自然堤防上に縄文時代から形

成された遺跡であるが,その主体は古墳時代である。

遺跡から出土した成川式土器は,東原タイプの時期

に比定される。また,検出した遺構から大きく2時

期の集落がとらえられる。

資料の所在

出土遺物は,鹿児島県立埋蔵文化財センタ-に保 管されている。

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